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Jennyの 実家で奮闘中

父親の同居介護、実家田舎生活、在宅ワーク、元野猫ちゃーちゃんの運命やいかに?

身内を見送った後の喪失感

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[  たかちゃん、よく来てくれたね。オロナミンCを飲むね?]

早朝から、涙がでました。94歳のおばあ様をみとられたドクターの記事。こちらは、父の抗認知症アリセプトを辞める決心をしたきっかけともなったブログで、先日も下記記事でリンクさせていただきました。

www.jennyjp.win

コメント欄がないようでしたので、こちらで失礼します。まだまだ読み込めていませんが、参考にさせていただきたい記事が多く、今後も参考にさせていただきます。リンク不都合でしたら、ご一報ください。<m(__)m>

www.ninchi-shou.com

 

 母と弟をおくった私

身内を見送った後の「喪失感」・・・私は大好きだった母を約20年前に、2人姉弟の弟を数年前に癌で亡くしました。母の時は私も今よりずいぶん若く、父も現役でばりばり自営をしていた頃で、何とか母をなおしたい、と、関東の私の家へ田舎の母を呼び寄せ、あちこちの病院巡りをし、3年の闘病の末、最後は本人の希望もあり、実家の田舎の方の病院ですごすことになり、疼痛治療も、当時は今より進んでおらず、実家の方の病院に転院後、本人の希望で最後はモルヒネで眠っていた母・・・

 

私が病院の個室で母につききり(仕事は当時からフリーでほぼ休業状態、生活費や母の闘病費用は、父が出してくれていた)で、父は自営の仕事があるので、夕方病院にきて母を見舞、私と父と交代で仮眠をしつつ、朝方仕事に戻る、を繰り返し、母の最期の時は、ちょうど父が朝6時過ぎに「また夕方来るから」と家に戻った後、静かに息がとまりました。私も父も、関東で仕事をしている弟も、覚悟はしていたとはいえ、やっぱり最後はつらい。。。 病院から家まで小一時間、母が逝ったことを父に電話すると、ちょうど家についた頃で、父はトンボ帰りで再び病院へ。弟は海外出張中で、葬儀に何とか間に合わせようと、帰国の算段をし、翌翌日の葬儀の途中に、弟夫婦と孫(母にとっての)が実家へ、何とか出棺には間に合いました。当時の実家の方では、家で葬儀をすることが多く、両親が長く商売をしていたこともあり、家の前から延々と花輪が並び、生花が届き、それはそれは盛大な葬儀でした。。。母は誰からも好かれていて、来てくださった方々は、本当に残念がってくださって。今でも家の前から延々と道路際に並ぶたくさんの花輪が思い出されます。

 

弟の時は、つい最近のような気もします、まだ若かったせいか進行も早く、病気発覚後3か月で逝ってしまいました。離婚後で、関東にお互い住んでいた頃で、やはり私が最後を看取ることに。一人息子(私には甥)のことを最後まで心配していました。弟とは特に仲が良かったわけでもなく、それまではお互い関東に住んでいても、お互いの生活があり、年に1回会うか会わないか位だったのですが、結局最後は私が見送ることに。 

 

当時、父はそろそろ心身老化の進む頃で、実家で一人暮らしをしていて、道で転んで膝骨折、自分にとっての長男である、この弟の病気は相当なショックであり、その後、急速に衰えが進んだ気がします。膝骨折後でリハビリ中だった父は、弟が入院してから、しばらく関東の私の家に住んで毎日病院に見舞いに行く、を繰り返していましたが、実家の方の所用で、一度実家へ帰る、と言って戻り、その直後に弟は退院させられ(抗癌剤をしない、という希望で、退院させられてしまった、病院としてはやることがなくなれば、退院させざるを得ないのですね。。。)通院で経過をみることに。一時退院して、痛みも特になくしばらくおだやかに療養していたところ、急に夜苦しみだし、救急車で入院していた病院に搬送、あの様子ではおそらく搬送中に亡くなったと思われます。死因は腹部大動脈破裂によるもの、だったらしい。それまでの不摂生な生活で高血圧、動脈硬化もあったものと思われ、癌であっても、死因はいろいろ。。。

 

 嫌いでも親は親。。。

上記リンク先の「たかちゃん先生」の記事と、直接は関係ないけれど、早朝、更新記事で拝見「たかちゃん、よく来てくれたね。オロナミンCを飲むね?」で、現在の自分の置かれている状況、父の扱いに疲れている自分、嫌いだ嫌いだ、と思っていて自分も苦しい気持ち・・・いろんなことが、頭をよぎり、涙がとまりませんでした。

人間としてどうか、と思ったりする父だけど、父がいなければ、私もいなかった。あんな人だけど、これまで家族に金銭面では苦労をかけず、多分自分ができることは稼ぐことだけ、と無意識におもっていたのかも。それも今となっては減る一方で、自分がいなくなったら財産もなくなる、って、まあ、潔くて、よいのではないでしょうか。家族の中で似たものどうし(嫌だけど(;´・ω・))の父と私が残ったことを思うと、やっぱり私は「修行」として、父を看ることを受け入れないとね~、と思ったりした朝、でした。

 

オロナミンC飲むね? ・・・イントネーションまで再現されて聞こえるようです。

母が生きていた頃、年に1~2回帰省をすると、決まってテーブルにいっぱいのごちそうを準備して、「あれも食べて、これも食べて」と。父がよく言っていました。お前たちが帰ってくるときは、前の日から準備して大変なんだから、母ちゃんは。。。

 

オロナミンC飲むね?・・・・だめだ、しばらく頭から離れそうもありません(苦笑)

 

 

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