おひとりさまライフ 保護猫ちゃんと一緒

田舎の父親同居介護の2年を終え、父から引き継いだ保護猫ちゃんとの田舎生活 母弟父をみとった自分の生活の整理をぼちぼち

雨の誕生日

はい、今日4月10日はワタクシの誕生日です。

思えば遠くへ来たもんだ・・・

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今朝も朝4時からお風呂場のちゃーの大音量にたたき起こされ(その前に2時頃も鳴いてたな~~~)、一回お風呂場から出して早めのちゃー朝ごはんにするも、まだ起き上がってこない(目が覚めてるかもだけど)父の方まで聞こえる声で家中走り回るので、こりゃダメだと、またお風呂場へお戻りいただき、しばらくお風呂場締め切ってちゃーの相手をば。

その後、6時頃から自転車&ウォーキング、と思ったのだけど、今朝は朝から大雨、さすがにこの雨の中を自転車で出る気にはなれず、断念。家でスクワットでもしましょう。月曜・・・週末、全く仕事にならなかった(お察しのとおり、父とちゃーのからみで(;´・ω・)) ウォーキング開始と、ミスチルで、ちょっと上向きになりかけてたのに、またまた父の暴言で、盛り下がっちゃった、また別記事で暴露させてもらおう。

 誕生日がうれしかったのは、いつまでだったろう

そうそう、誕生日。この年になれば、誕生日・それが何?って感じだけど(あ、ぼっちの私だけか・・・(;´・ω・))、改めて思うと、長いこと生きてきたなあ、と思う。宇宙のごみより小さい人間って、人生って、ほんの一瞬なんでしょうけれど、人間の頭で考えることって、長大、煩雑、だよねえ~

 

今は、自分で望まない生活(って、言っちゃいけないんだろうけど)で、ストレス満載だけど、よくよく考えてみると、やっぱり人生プラスマイナスなのか。

 

私の生地は今の実家のある土地ではなく、その後も、親の仕事で関西で住んだりもあり、親の実家のある今の土地は、小学半ばから中学卒業までの数年しか住んでなかった。実家が嫌で、高校から家を離れて女子寮生活を始め、その後も東京へ出てしまった。そいうのもあって、実家の田舎が好きになれないのかも。小学の時は、都会からきた転校生、っていじめられてたものね~。今、当時の同級生に会うと、小学生の頃は、気になるからいじめてた、ってことだったみたいだけど(苦笑)

 

東京に住み始めてからも、引っ越し魔で、10回位引っ越したかも(;´・ω・) 結構引っ越し好きで、一人暮らしだったし、一人で一晩徹夜で引っ越し準備したりしてた(若い悪頃からなんでも一人でやってきたので、大抵なんでもやるよ)。だいたい関東圏内で、東京、埼玉、神奈川あたりをぐるぐるしてたけど、20代最後の頃にめちゃくちゃ遠くへ行ってしまって、今思い出しても、冷や汗もん。その頃、東京・中野のワンルームマンションに住んでて、少ない荷物をスーツケース3つにして、後はリサイクル屋さんに引き取ってもらい、成田から飛行機に乗りました。欧州へ✈✈✈✈✈・・・

 

親には一切言わず、飛行機の機内で手紙を書いて、到着後投函。親に言うと絶対反対されるから。それまでも海外がらみの仕事をしていたのだけど、一回でいいから外国に住んでみたかった、仕事を見つけて採用、となり、どんどん話を進めて、スーツケース3つで日本脱出。今でも思い出す、11月だった、南欧だったけど、寒かった~。。。 親への手紙には「1年仕事で外国行くから」って、結構長い手紙だったかも。現地到着後、手紙が着いたかな~という1週間後位に親に電話、母に泣かれ、父に怒られた。何も黙って遠くへ行くこともなかろうに、と。親にしてみれば、そうだよね~(;´・ω・)

 

そんなこんなで欧州生活、親には1年と言ってあったけど、結局3年、若かったから、現地でのお付き合いもあり、もし結婚とかしてたら、日本に戻ってなかったかも~ 仕事だったから、たいへんだったけど、若かったし、楽しいこともいっぱい、めちゃくちゃ自由に生きてた頃かもね~、丸3年たって帰国して、また関東に住み始め、仕事見つけて、それからフリーになって、日本で日本人と付き合い始めて、1年同棲して、仕事して、遊んで・・・・若くて元気でないと、やっぱりむちゃはできない。

 

www.jennyjp.win

 

 

う~む、10年位は、めちゃくちゃ、自由に楽しんでいたじゃん、自分(;´・ω・)

その反動が、今、なのか?そう思うと、人生プラマイゼロ???

 

この先また、プラスの状況と思える時代がくるのか・・・? 

それがわかるのは、自分がこの世をさるとき、なのかなあ。。。

もう、先の方が短いよ、何とか転換させるように、

がんばろう、また一つ年をとったワタシ。

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