おひとりさまライフ 保護猫ちゃんと一緒

田舎の父親同居介護の2年を終え、父から引き継いだ保護猫ちゃんとの田舎生活 母弟父をみとった自分の生活の整理をぼちぼち

29歳で親にも言わず、スペインへ働きに行った、ただいま還暦女子

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全て、自分で決めて来た

人生は迷いと決断の連続だ、あたりまえだけど。それは自分で意識していようが、いまいがね。

信じられないけど今年「還暦」となったワタシ(父が80すぎても自分が年寄と思ってなかったのと同じだ)のこれまでの人生を思っても、進学、就職、転職、恋愛、家族関係、どれをとっても大なり小なりの「迷いと決断」の積み重ね・・・それらのうちの、すぐに心に浮かぶ「迷いと決断」3つを。その後の生き方に影響を与えた順、かな。

 

一番: 29歳ぴちぴち女子がスペインへ行く

*注)29歳がぴちぴちじゃない?いやいや、還暦からすると、充分ぴちぴちよ^^

29歳の時、それまで3回転職して日本で働いていたが、縁あって海外で働けるチャンスが。それまでも機会があれば、日本でないどこか外国で働きたい、と思っていたワタシは、これに飛びついた。紹介者があってのことで、その時の選択肢は、ニューヨーク、パリ、マドリッド・・・英語は中学生の頃から好きで、そこそこできていたので、この際は、第2外国語ができるといいなあ、という単純な理由で、スペインをチョイス。学生時代の第2外国語はフランス語だったが、発音が苦手で全く身につかず、スペイン語は未経験だけど、その職場は一応英語ができればOKってことで、マドリッドで働くことになった。

 

それまで東京のワンルームで生活していたが、スペイン行が決まって、さっさとワンルームの家具をリサイクル屋で処分し、スーツケース2個の荷物を携え、日本を発つ。

今でも忘れない、マドリッドに到着したのは、11月の雨の降る寒い日だった。アパートが決まるまで当面、ホテル滞在となり、マドリッドの中心部の3星ホテルの1室、どきどき、わくわくのスペイン生活のスタート。

 

高校時代から、実家を離れての寮生活で、その後の学生時代~就職後も、東京で一人暮らしをしていて、昔から「おひとりさま」には向いていた、と思う。学生時代を終えてからは、就職も転職も引っ越しも、なんでも自分一人で決めてきた。このスペイン行については、東京からは遠い南国の実家の両親には、完全事後報告。日本を発つ成田空港から搭乗前に、電話をした。相談等しても、反対されることはわかっていたし、全て決めてから、飛行機に乗る前に、電話した。。。母には、泣かれた、父は絶句・・・だよねえ。。。「もう、飛行機、でるから」と電話を切り、機内で両親に手紙を書いた。

 

スペイン生活は、仕事しつつのスペイン語学校へいきつつ、宵っ張りのスペイン人とのつきあいにもかりだされ、なかなかラテンな生活だった、結局1年半マドリッド、その後の1年半バルセロナの生活で、32歳になった頃、このままスペインで生活するのか、日本に帰るのか、、、これは、かなり悩んだが(スペイン滞在3年間で2人のスペイン人とつきあったが、いずれも決定打にならず、これがもし結婚話になっていたら、今頃ワタシはスペイン人のおばちゃんに、なっていただろう・・・)結局日本にもどってきた。よい経験だったと思う。帰国後も、何度か転職しつつ、今に至る、仕事はず~っと、そして今も、関連業界だ。 

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バルセロナ時代の同僚と。平野ノラさんを見ると、この頃を思い出す。肩掛け携帯電話、もってたよ。

二番: 40代 出会いと別れ

なんだかんだと、ワタシはこれまで結婚はしていない。高校時代から実家を離れて寮生活以降、ほぼ一人生活だったので、今思うにやっぱり、ひとりが好きなんだと思う。そんなワタシでも、遅咲きの40代になったころ、なんのご縁か、同棲することになる。バツイチの日本人だ。付き合い始めてからいっしょに暮らすようになるまで、あまり時間はかからなかった。お互いの住まいを解約して、世田谷区の2LDKの新築マンションに引っ越した日を今でも覚えている。天気の良い日で、ベランダから遠くに富士山がみえた。楽しかったなあ、1年位は。

その時は、私の結婚を心配していた母はもう亡く、父にも同棲のことを言えずに、ああ、そうだった、この件も、父には事後報告だったわ。田舎のがちがちの硬い父親、言えないよね~、結婚してないのに一緒に暮らします、なんて。。。数か月後、父が上京することになり、隠してはおけず、マンションによんで一緒に夕食食べたけど、父にしてみれば、嫌だっただろうなあ。。。

 

ワタシとしては、将来的には結婚したかった、んだと思う。でも、ダメだったね~、相手はバツイチ、再婚する気はなかったみたい。何もなく生活できていたら、結婚も関係なくパートナーでいられたのかも、とも思うのだけど、だめだった。この人、浮気する人だった。携帯からわかっちゃったんだけど、相手に電話しちゃったよ、いや、彼と彼女が二人とも本気なら浮気じゃないから、ワタシは納得よ、なので、彼女に電話して聞きました。そしたら、彼女、既婚者でした。。。。はぁ~。。。なんなのよもぅ~ 

 

なんだかんだとありましたが、結局ワタシから別れました。一晩で引っ越し準備をして、彼が出勤後、引っ越しやさんが来て、家具一切合切(ほとんどが私のものだったからね)運びだし、彼が帰宅するころには、がらんとした部屋だったはずだ。しばらくは本当に悲しかった。。ひきづった・・・で、数か月後によりを戻したのだけど、その後も同じ理由で、また別れて、その後も時々思い出すけど、こういう人は、変わらないんだろうな~、より戻ってもおんなじだっただろうな~、私がそういう彼でいいや、と思わない限りは、だな。

それからもう十数年~、たま~にふと思いだしたりするけど、一緒に行った旅行のことなど、楽しかったこと、ね。今となっては、もう一人でいいや、と思います。

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片付けをしていると出てくる昔の写真、デジカメ以前だから紙焼きの写真、アルバムが大量にある。もう、甥っ子関連の物だけ残して、全て処分だ~

 

三番: 田舎の父親との介護同居

これは、やっぱり大きい迷いと決断でした。人生の中で、一番迷ったかも。中学卒業以降、親元を離れて暮らしていたので、私が30代の頃母が亡くなり、50代の頃長男である弟が亡くなり、一人暮らしだった父もだんだんと年老いていく、75を過ぎた頃、ゴミ出しの時に転んでひざ骨折して以来、足腰が弱くなってきて、私もたまに実家にもどって父の様子をみるも、なかなか、完全に東京を引き払って田舎で父と同居する決心はつかず。父を東京へ呼んでも、3日も立たずに帰ると言い出す、まあ、年を取ってからの都会暮らしは、知り合いも親戚もいないマンション生活、年寄には、無理なことだ。

 

そんなこんなで、何年かは、私が実家を飛行機(自家用機じゃないよ(-_-;))で行き来していたけれども、83を過ぎた頃から、ますます父は足腰弱り、目も耳も弱り、認知機能も落ちてきて、一人暮らしができる状態ではなくなり、かといって、介護施設に入るようなところまではなく、迷いに迷った末、私が田舎の実家で、父と同居生活をすることを決心。

昭和初期のがちがちの亭主関白だった父、口答えは許さず、自分が一番正しい、頑固一徹、どうしようもないおやじで、ただ、間違ったことは嫌いで、外面はよい、金払いはよい(見栄っ張り)、おかげで、昨年9月の父が逝ってしまった後は、借金こそなくて助かるけど、残ったものは古い家だけ、という状態。昔からワンマン社長で、ひたすら子供の為にと働いてきた母と父、感謝はしている。

 

そういう父も、だんだんと自力でできることが少なくなり、お風呂に入りたがらなくなり、トイレも間に合わずに途中で汚してしまったり、リハパンをはかせても、1日中替えさせてくれなかったり、母と私を間違うようになったり、あれほど大酒のみが、だんだん焼酎も飲まなくなり、あれほど肉好きだったのが、食欲もなくなってきたり・・・いつまで、この介護同居が続くのか、と悲観に暮れたものだったけど、結局私の留守中に転んで圧迫骨折をして入院、その病院で肺炎にかかり、あっけなく逝ってしまった父、もともと認知機能もおちていたのが、入院後10日程過ぎると、いろんなことがわからなくなってきたようで、私がいっても娘とわかってなかったような様子だった、ただ、家で留守番をしている保護ネコのちゃーのことはわかるのか、タブレットに動画を入れて、病室でみせると、ほとんど言葉も発しなくなっていた父が、タブレットの猫ちゃーに手を伸ばし、「ちゃ~、ちゃ~、・・・えへへ・・」といったのが、最後にまともに発した言葉だったかも。・・・

 

同居中は父とケンカしつつ、この~くそおやじ~~~、と思っていたけど、いなくなってみると、少しの寂しさ。あっというまの、2年の同居生活でした。

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在りし日の父と猫ちゃー

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なかなか、理想どうりにはならない人生だけど、どれをとっても、私としては後悔はしていない。すべて自分で決めてきたことだから。還暦女子のこの先も、少し迷って、さっさと決断しつつ、すっきりと生きていきたいものです。ね~、猫ちゃー^^

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